おはようございます。秘密結社猫のために生きよ 出山です。
はい、普段あんまり人のことを悪く言ったりすることないんですが。
Twitterより流れてきた沖縄県では有名な保護猫活動家
「アニマルフォレスト」「ダンテ・オレール氏」「久高ゆい氏」
の最近の現状や投稿を見て、わたくしは激昂したのでございます。
猫だけではなく、犬も、ハムスターも、うさぎも
大体はチョコレート・カカオ類はだめです。
牛乳も乳糖を消化できません。(わたくしも乳糖不耐症です。)
他にざっと挙げるなら、ネギ類とかがNGなのはご存じの方多いでしょう。
「映え優先かよ、クソくだらねえ!!!」
自分で書いた以上有言実行。秘密結社スタイルです。
昨日あたりから「映えを狙わない普通の写真のみ投稿する」を実行しています。
何かを人に伝えたいとき、訴えたいとき、
文字よりも画像や動画の方が心にダイレクトに伝わることがあります。
でも命を扱う者として、それやっちゃいけない時もあるんです。
わたくしがダンテ氏を知ったのは2018年頃だったと記憶しています。
当時SNSで何度も流れてきたからです。癌と闘う「ちから」の闘病記録が。
そこからわたくしはダンテ・オレール氏の活動を知り、ヴィーガンという選択肢があることを知り、保護団体の現状、外を生きる猫の過酷さ、色々なことを学ばせていただきました。
当時はPayPayなどありませんでしたから、いつもゆうちょの口座がツイートに書いてありました。
保護施設の建設計画に感動し、完成を心待ちにしていました。
が、結局、一度も寄付することはありませんでした。
2020年終わりごろからかな?アニマルフォレストに対して疑問を投げかけるツイートをする人が増えてきたように感じました。
確かに言われてみれば…
施設の建設は?
これだけのご支援があれば大変だろうけど収支報告は?
え、タトゥー?奥様である久高ゆい氏のファッションや眉のタトゥー…
高額なヴィーガン食…
いやいや、自分が貧乏だからって相手の生活を貶すことはいけない。
最初はそう思って自分を律しましたよ。
でもこの時既に瓈菜を保護して総額10万ちょいを吹き飛ばしたばかりのわたくしには、到底理解ができなくなっていました。
立て続けに瓈梦も保護し、7万ぐらい吹き飛ばして…
あれれ??ってなっちゃいました。
うちは夫婦共に働いていて別に非課税世帯でもありません。
高くはありませんが世帯年収も500万…ねえな、そいえばねえな。
どのぐらいの支援金がこの夫婦に集まっているかは予想も出来ませんが、正社員でもなければバイトもしていなさそう…
あまりストレスになるのも嫌なのでたまーにアカウントを見る程度にしていました。
が、最近の投稿、ちょっと映え狙いすぎてないかな?って思っちゃったんです。
そしてそこに、SNSで見た覚えのある「おりひめ」ちゃんの飼い主さんからの悲痛な叫びも流れてきました。
それはそれは、悲しい、叫びでした。
彼らにとって「支援金」とは一体何なのでしょう?
覚えていますでしょうか?
これはわたくし共のところに届いた、優しい支援物資です。
あの時の感動を忘れることができません。
SNSで猫を抱っこして撮った写真に「ありがとう」と文字入れすれば、それで済む話なのでしょうか?
ご支援を募るということは、人様からの善意でお金を受け取るということです。
なら誠意を見せなければ、と思うのはわたくしだけでしょうか。
今生きたいと願う小さな命に共感して、心を寄せて、送金する人たちに対して誠意を見せるのは当たり前のことじゃないでしょうか。
たまたまパチンコあたったから寄付しよー♪とか、たまたまスクラッチちょっと当たったから寄付でもしよー♪とか、そういう寄付じゃないと思うんですよ、彼らのところに集まる支援金っていうのは。
今支援してくれる人たちを大切にする姿勢を見せれば、この先も心を寄せてくれる人がいるかもしれないのに。SNSのチカラは絶大ですが使い方を間違えれば破滅です。
さて、タイトルにあります通り
支援金とは?
命をつなぐ光なのか。
はたまた、あぶく銭なのか。
善意で寄付をした人たちが収支報告を求めるのは当たり前の権利なのか。
それとも最初からあぶく銭だと諦めるべきなのか。
この問題、今後もっと大きくなってくると思います。
何故なら飼い猫の治療費が出せない飼い主さんたちが今、クラファンに向かっているからです。このクラファンで何とかしたいという動きも今後加速するでしょう。
政治家たちの自助、公助の言葉が懐かしくなってきました。
答えがなかなか出ない問題ではありますが、あえてブログにしてみました。
そうです、この記事答えありません。すみません。
ただ一つ答えがあるとするなら、支援金を募るために映えを優先することは絶対にあってはならない、ということです。
Kommentarer